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静岡地方裁判所 昭和43年(わ)79号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

本件公訴事実中、城所賢一郎に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点については、被告人は無罪。

理由

(本件犯行に至るまでの経過)

被告人は、昭和三年一一月二〇日清水市において父権命述母朴得淑の長男として出生し、四才の頃父権命述に死別してからは母朴得淑や三人の姉妹と共に貧しい生活をしいられ、七才の頃義父金鐘錫を迎えてからも同人との折り合いが悪く、恵まれない家庭環境において、しかも朝鮮人としての差別と蔑視の下において成育し、そのためもあつて少年の頃施設に収容されたのを初め、昭和二一年より同三六年までの間に、窃盗、詐欺、横領、脅迫、銃砲等所持禁止令違反、傷害、強盗、同予備、銃砲刀剣類等所持取締令違反、恐喝等懲役刑の前科六犯を重ね、ために通算約一五年の刑務所生活を余儀なくされ、昭和四〇年九月一九日六犯目の刑を終え翌日横浜刑務所を出所した。

出所後、被告人は刑務所入所中更生の意欲をもつて取得した三級自動車シャシおよびガソリンエンジン整備士技能証を生かす職を探したが、朝鮮人であることや前科のあるためその職に就くことができず、昭和三四年頃からの内妻加藤和子と共に掛川市において飲食店を営むようになつたところ、同店に時折狩猟の帰りなどに立ち寄つていた島田市で農業を営む岡村孝および榛原郡金谷町で珠算塾を経営する浅風金平らと知り合い、同人らに誘われて猟に行くうち、猟に興味を抱き、岡村孝の名義で島田市にある河口銃砲店から米国製ハイスタンダード二二口径ライフル銃やその実包等を買い求め、右ライフル銃が間もなく故障したため豊和ライフル三〇〇に買い替え、飲食店を経営する傍ら同人らと猟のうえでの交際を続けていたところ、昭和四二年四月頃他の女性を妊娠させたことから、約八年間連れ添つた内妻加藤和子と別れることになり、右飲食店も人手に渡すのやむなきに至つた。

その後、被告人は自業自得とは思いながらも暫く孤独な生活を送つたが、同年六月頃清水市内のキャバレー「クラウン」でホステス簗場房子と知り合い、間もなく同女が借りていた同市内のアパートにおいて同女と同棲するようになつた。その頃、被告人は知人の内山昌則に対し金借を申し込んだ際、同人から有限会社丸進無線工業所振出にかかる金額四五万三、〇〇〇円、支払期日昭和四二年九月二五日、振出日同年六月一〇日、静岡急送株式会社を受取人および白地式裏書人とする約束手形一通を渡されたので、これを岡村孝に対し裏書をしないまま交付し、間もなく同人より一〇万円を受領した。

被告人は、同年七月頃の夜たまたま清水市内のさくら劇場附近路上を通り掛つた際、同路上で酔つ払いの喧嘩を制止していた刑事が、「おめえらみたいな朝鮮人は早く国へ帰れ」などと朝鮮人を侮辱する発言をしたのを耳にし、その場にいた者に尋ねてその刑事が清水警察署に勤務するK刑事であることを聞き、近くの焼肉店明月苑から清水警察署に電話をかけ同刑事を呼び出したうえ同刑事に対しさきの侮辱発言を抗議したところ、同刑事が謝罪をしないばかりか却つて嘲笑的言辞を弄したため激怒し、興奮の余り同刑事に対し「畳の上じゃ死ねないようにしてやる」と言い返すなど、同刑事と電話で激しくやり合つた。

このようなことがあつてから、被告人はこのまゝ清水にいたのでは感情を制御できないと思い、内妻簗場房子と共に清水市を離れて旅に出た後、沼津市内でアパート暮しをしたものの、一ケ月程で同アパートをひき払い、榛原郡の蕎麦粒山に小屋をつくり、銃の所持許可も狩猟免許もないまゝ前記豊和ライフル銃で狩猟などして一〇数日間同山中で生活したが、ライフル銃の射撃をしていることを人に知られ警察も動き出したため、右ライフル銃の名義人である岡村孝が心配して同山に右ライフル銃を取りに来たので下山して右ライフル銃を同人に渡し、その後横浜市に住む知人佐川三郎の紹介で同市野毛山公園の近くのアパート「五月荘」に部屋を借りて内妻房子と共に住むようになり、同女は同市内のキャバレーに勤めるようになつた。

その頃、さきに被告人から岡村孝に交付された約束手形が不渡となつたため、岡村孝は友野某に右手形を渡して取立を依頼したところ、同人がさらに谷川鉄三郎に右手形を渡して取立方を依頼したので、同人を通じ裏書人である静岡急送株式会社に対し右手形金の支払を請求した。ところが、同会社専務取締役青野春夫が右手形は同会社において利用していないものであるとして暴力団Ⅰ組のAをたててその支払を拒絶したので、右岡村は谷川鉄三郎に右手形の返還を求めたが、同人が礼金を要求してこれに応じなかつたため、友人の宇田川直二を通じて静岡市横田町に住むⅠ組幹部の金融業甲に対し事態の解決を依頼し、同人に要求されるまゝ手数料一五万円を支払つたところ、甲は右Aが同じⅠ組であるので、同人を通じ右青野から幾許かの金を貰い右静岡急送に対する手形金請求をしないことにし、被告人が岡村孝に右手形を交付して同人より一〇万円を受領していることから、A、谷川鉄三郎と共に「金岡に関することに協力する」旨記載した念書を宇田川直二を通じて岡村孝に渡し、同人の被告人に対する債権取立に協力する旨を岡村孝に約束した。

その後、岡村孝は被告人の所在を調査した結果被告人が横浜にいるらしいことを知り、同年一一月下旬頃浅風金平、宇田川直二と共に前記佐川三郎方を尋ね、同人が被告人の住居を知つているらしいとの疑いを強めてその日は引き揚げたが、被告人はこれより先義父が孫を道連れに自殺したので掛川市の母朴得淑方を訪れて焼香し前記「五月荘」に戻つていたところ、それから幾日も経たない頃佐川三郎から右岡村らが尋ねてきたことを聞き、岡村孝に電話をかけ人を頼んで取立にきたことを詰つたため、このことから右岡村らは佐川三郎に聞けば被告人の住居が判るとの確信を抱き、同年一一月下旬頃の深夜友野某らを加え再び自動車で右佐川三郎方を訪れ、同人に案内させて前記「五月荘」に赴き、被告人を呼び出して近くの野毛山公園で被告人に対し金を支払うよう求めたが、被告人がこれに応じなかつたため、やむなく右自動車で引き返す途中、宇田川直二の発案で甲にその協力を要請することとなつた。

かくて、甲は宇田川直二から電話でその協力を要請され、同年一二月上旬頃の夜岡村孝、宇田川直二、浅風金平、友野某らと共に自動車二台に分乗して静岡市をたち、同深夜被告人の住む前記横浜の「五月荘」に着き、宇田川直二に呼び出させた被告人を自動車内に連れ込み、同車内で被告人に対し岡村孝に金を支払うよう迫つたが、被告人がこれに応じなかつたため借用証書を書くことを強要し、被告人をして三八万円の借用証書を書かせたうえ、被告人の母や弟に保証人になつてもらうことにして被告人の印鑑も預りこれらを携え、右曾我らは掛川市に住む被告人の母朴得淑や実弟のところに到り、同人らに対しその保証人になるよう迫つたところ、いずれもこれを拒絶された。

その数日後、被告人は右甲らから受けた仕打ちに我慢ができず、右岡村、浅風、宇田川らと話をつける腹を決め、自己に万一のことがあつた場合のことを考え、前記横浜のアパートをひき払つて内妻房子を千葉県柏市の同女の兄簗場俊夫の許に行かせ、その頃横浜市の緑屋百貨店から内妻房子の十和田市の兄簗場光雄名義で購入した豊和ライフル銃一挺(昭和四五年押第四一号の八)およびさきに島田市内の河口銃砲店から岡村孝名義で買い求めてあつた実包を携えて横浜をたち、かねてから世話になつていた静岡市新川の知人趙衍方に立ち寄り、同人方から甲方に電話をかけて同人と激しく口論したうえ、その夜榛原郡金谷町の浅風金平方に赴き、同人方の玄関に入るや、甲から被告人が銃を持つて仕返しに出たから逃げるよう電話連絡を受けて右浅風方に来ていた宇田川直二と顔を合わせ、同人と銃を向け合つて一発発砲したが、浅風金平の妻に宥められ岡村孝や浅風金平からも詑びられてその場は治まり、同人方で同人らと雑談して夜を明かしたところ、翌朝A、谷川鉄三郎と共に浅風金平方にやつて来た甲に改めて借用証書を書くよう迫られ、再び三八万円の借用証書を書かされてしまつた。

被告人は、右岡村らと話をつけるべくライフル銃を携えて出掛けながら改めて借用証書をとられた悔しさに、帰途このまゝ引き下がるかどうか迷つたが、内妻房子のことを考えてこれを堪え、同女の待つ千葉県柏市の簗場俊夫方に帰り、同人方で一〇日間位世話になつた後、内妻房子と共に青森県十和田市の同女の実家に身を寄せ、同所で狩猟などして時を過すうち、昭和四三年一月中旬頃猟の帰りに足を滑らせて右足首を捻挫し、気分も重く金にも困つていた矢先の同年二月初め頃、甲から前記借用証書の金を支払うよう催促した手紙を受け取るに及び甲に対する憎しみの情を大いに燃やし、「K刑事のこともある、この際一挙にやつてやろう」と考えるに至つた。

かくして、被告人は同年二月一七日前記ライフル銃、実包および岡村孝から昭和四二年三月頃と同年七月頃の二回に亘り譲受けたダイナマイト等を携帯し、内妻房子と共に十和田市の同女の実家をたち、列車で静岡方面に向い、翌一八日以前働いたことのある田方郡修善寺町の土建業大地三千雄方に立ち寄り、同人に頼み同人の自家用車で榛原郡金谷町の浅風金平方まで送つてもらい、同日夜同人方に到着し、同夜遅く同人方に内妻房子を残したまゝ浅風金平から自動車を借り、かねて親しくしていた掛川警察署原谷駐在所勤務の大橋朝太郎巡査を同駐在所に訪ね、同巡査に対し前記ライフル銃とダイナマイト一本を見せ、「甲をいつかはばらしてやらにやしようがない」などと不穏な言動を示したうえ浅風金平方に戻つて同人方に一泊し、翌一九日同人方においてダイナマイトの導火線や雷管を点検しビニールテープを巻き直すなど準備を整えたうえ、知人の田中某にレンタカーを借りてくるよう依頼し、同人が島田市のレンタカー会社から借りてきた普通乗用自動車プリンス・スカイラインに前記ライフル銃、実包、ダイナマイト等を積み込み、同日午後四時過ぎ頃内妻房子を乗せた同車を運転して浅風金平方をたち、同夜は清水市内の旅館「玉泉」に宿泊した。

(罪となるべき事実)

第一、被告人は昭和四三年二月二〇日朝前記ライフル銃、実包、ダイナマイト等を積み込んだ乗用車に内妻房子を乗せ同車を運転して右旅館「玉泉」をたち、日本平を経て国鉄焼津駅方面に向い、途中モーテル「ハンドル」で昼食をとつた後、同モーテル附近の右乗用車内において、内妻房子に対し「俺と一緒に歩いていると、えらい巻き添えをくう。俺はもうとても我慢できない。黙つて別れてくれ。」と別れ話をもちかけ、離別をいやがる同女を国鉄焼津駅附近で下ろし胸中泣く思いで同女と別れたが、こゝにおいて、このようなつらい思いをするのも甲(当時三六年)らのためであるとして甲殺害の決意を固め、清水市に戻り、同日午後三時過ぎ頃静岡市横田町に住む甲に対し、今夜七時クラブ「みんくす」に金をとりにくるよう電話をかけ、同日午後七時前頃清水市旭町八八番地の二クラブ「みんくす」前附近路上に到り、同路上の右乗用車内で同人の来るを待ちうけた。

一方、被告人から右電話を受けた甲は、被告人から金の支払を受けられるものと思い、舎弟分にあたる静岡市三番町居住の乙(当時二二年)に対し、「みんくす」まで自動車を都合するよう電話をかけ、同人が同人の父の経営する家具販売店の運転手丙(当時一九年)に運転させて迎えにきた自動車に乗つて同日午後七時過ぎ頃前記「みんくす」に着き、乙、丙を連れて同店玄関から同店内に入つた。

被告人は右甲ら三名が「みんくす」に入つたのを見て、同人らの後から同店内に入り、スペシャル・ルームの一四番ボックスに席を設け、甲に対し「金は知合いの人に頼んである。だから今電話がくる。もうちよつと待つてみてくれ。」などと嘘をいつて同人らをもてなしていたが、同日午後八時頃「遅いから電話してみる」といつて席を立ち、同店のカウンターの電話のところに赴き、前記静岡市新川の豊趙こと趙衍方に電話をかけ、その応対に出た同人の妻に対し「いよいよ甲とやらにやならんところまできた。豊趙さんによろしく。」などといつて電話をきり、同店玄関から出て同店前路上に停めておいた右乗用車のところに赴き、右ライフル銃に三〇発入り弾倉を装着し安全装置をはずして直ちに発射できるようにしたうえ、これを布袋に入れて携え、同日午後八時二〇分頃同店内に戻つて甲、丙およびホステスらのいる前記一四番ボックスの入口附近に到り、右ライフル銃を布袋より取り出すや、同ボックスのソファーに坐つてホステスらと遊興中の甲に銃口を向け、いきなり三米足らずの至近距離から殺意をもつて同人に対し実弾六発を発射して同人の胸部等に全弾命中させ、さらに引続き同ソファーに坐つていた丙に銃口を向け、一米位の至近距離から同人を右ライフル銃で射撃すれば同人が死ぬかもしれないことを認識しながら敢えて同人に対し実弾四発を発射して同人の背胸部等に全弾命中させ、その結果甲をして心臓および胸部大動脈損傷による出血により即死させ、丙をして腸管、腸間膜、脾臓等の内臓損傷による出血により同日午後八時四八分頃清水市田町三〇番地総合病院清水厚生病院において死亡させた。

第二、被告人は右甲、丙を射撃した後、「みんくす」の玄関附近において前記ライフル銃で天井に向つて一発威嚇射撃したうえ素早く前記乗用車に乗り込むや同車を運転して同店を立ち去り、日本平を経て同日午後九時頃静岡市新川の前記趙衍方に赴き、同人に対し「みんくすで二人やつてきた」といつて同人方の電話をかりて清水警察署に電話をかけ、応対に出た春田係長に対し「殺人事件を知つているか。あの事件は私がやつたんですよ。自分のことは自分で処置する。」などといゝ残して電話をきり、再び右乗用車を運転して国道一号線に出て駿河大橋を渡つたところ、下り線が車で渋滞していたため一斉検問が始まつたものと思い、方向を変えて安倍川べりを上流に向い、さらに山奥深く進むうち、榛原郡本川根町の大間部落、通称寸又峡温泉に到つた。

被告人は、同日午後一一時三〇分頃同町千頭二九八番地の二ふじみ屋旅館(経営者望月英子)附近に到り、同旅館が広場に面していて見透しのよくきく位置にあり、たてこもるのに好都合であるので同旅館にいる者を監禁して同旅館にたてこもろうと考え、同旅館の玄関前附近に右乗用車を停め、右ライフル銃を携えて同玄関前に赴き、「今晩は、今晩は」と声をかけ、応答のないまゝ施錠されてなかつた戸を開け、履いていた編上靴も脱がずに同旅館に上り込んで不法に侵入し、まず同旅館新館一階竹の間(六畳間)入口に赴き、右ライフル銃の銃口を下に向けてこれを右手に持ち、同間に宿泊していた中日本基礎工業株式会社地質調査技師柴田南海男(当時二六年)、同田村登(当時二四年)の両名を「ちよつと起きてくれ」といつて起こし、右両名に対し「今清水で人を殺してきた。嘘じやない」などといつてライフル銃の実包を掌にのせて見せ、「これから警察とかけあうから、それまでおとなしくしてくれないか。他の泊り客を起こしてくれ。」といつて、右ライフル銃を手に携えたまゝ、右柴田らと共に隣室の松の間(六畳間)の入口に赴き、同間の宿泊客である吉岡電気工業株式会社電気工事責任者加藤末一(当時三九年)を「ちよつと起きてくれ。ぐずぐずいわずに起きろ。」といつて起こし、同人に対し「俺は今清水で人を二人殺してきた。警察との話合いのために来た。二階へ行け。」などといつて同人を同新館二階藤の間(六畳間)に行かせ、次いで右藤の間に赴き、同人に起こされた同間の宿泊客である吉岡電気工業株式会社電気工加藤一志(当時三三年)、同市原勝正(当時二五年)、同寺沢一美(当時二〇年)、同伊藤武雄(当時二〇年)に対し「清水で今二人殺してきた。静かにしておれば何も被害を与えない。」などといゝ隣室の桐の間(六畳間)から宿泊客に起こされて出て来た同間の宿泊客である東京芝浦電気株式会社々員小宮征市(当時二六年)に対し「今キャバレーで二人殺してきた」などといゝ、同新館の宿泊客八名全員を右藤の間に集めたうえ、柴田南海男に対し「店の主人を起こしてこい。ライフル持つているといつて起こしたらびつくりするから、急病人がでたといつて起こしてこい。失敗したらあとの人がどんなことになるかわからないぞ。お前の責任重大だぞ。」といつて、右柴田をして同旅館経営者の夫望月和幸(当時三四年)を同旅館旧館から右藤の間に連れてこさせ、右ライフフル銃を手に携えたまゝ同人に対し「清水で事件を起こして、やくざを二人殺してきた。警察と話合いつくまで厄介になりたい。静かにしてくれ。」などといゝ、さらに同人の妻子を連れてくるよう命じ、同人が右旧館に引き返し望月英子(当時二九年)、長女栄子(当時九年)、次女規子(当時七年)、長男和樹(当時六年)を起こして着替えさせているところに、右ライフル銃を肩にかけて赴き、同人らに対し「近所の者が起きるから静かにしろ。二階へ行け。」などといつて同人らをも右藤の間に行かせ、同旅館の家族五名および宿泊客八名の合計一三名を右藤の間に集めた後、柴田南海男、田村登、望月和幸らに命じて自己がたてこもることとした右桐の間や階下客室の畳を揚げさせてこれを右桐の間南東側の窓際に縦横に重ねさせてバリケードを築かせ、この間に清水警察署に電話をかけ、応対に出た小倉警部に対し、大橋朝太郎巡査と西尾部長刑事の二人をふじみ屋旅館によこすよう要求し、さらに柴田南海男、田村登に命じて前記乗用車内より箱に入つたダイナマイトや実包等を右の桐の間に運ばせ、また望月和幸に命じて炭火をおこさせたコンロと炭一俵位入つた箱を右桐の間に運ばせ、そのコンロの側の木箱の上に導火線付雷管を装着したダイナマイトを積み、いつでもダイナマイトに火を着けてこれを爆発させることができるようにしたうえ、翌二一日午前三時頃、右藤の間に集めた宿泊客および望月夫妻に対し「警察と話をつけるまで我慢してくれ。おとなしくしていれば危害を加えない。」などといつて、同人らが同旅館を出るなど勝手な行動をすれば、その者または他の残留者に危害を加える旨を暗に告知して脅迫し、同人らをして同旅館を出るなど勝手な行動をすれば、自己または他の残留者に危害が加えられるものと畏怖させ、同二一日午前七時過ぎ頃前記被告人の要求により同旅館にきた大橋望太郎巡査を通じ警察側に対し、K刑事による侮辱発言と甲がいかなる人間であつたかを明らかにすることを要求し、その要求を貫徹するため右被告人の言動により右のとおり畏怖しつ同旅館の家族および宿泊客ら〈編注、合計一三名〉を、別紙一覧表記載のとおり同二一日午前三時頃より最高約八四時間、最低約二九時間の間同旅館内に滞留させて監禁した。

第三、被告人は静岡県知事の許可を受けず、法定の除外事由もないのに、同月二一日午後の陽のある間、警察官に対し逮捕行為を牽制する目的で前記ふじみ屋旅館新館二階桐の間において、導火線付雷管を装着したダイナマイト一個に点火し、同間南東側窓から同旅館前庭にこれを投擲して右火薬類を爆発させた。

第四、被告人は同日午後三時頃前記ふじみ屋旅館周辺の警察官配置状況を探ぐるため、前記ライフル銃を携え望月和幸を伴つて同旅館を出、

一、同日午後三時過ぎ頃同旅館北隣りの同町千頭三一八番地の二旅館光山荘こと大村善朝方玄関前に赴き、被告人に命ぜられた望月和幸からふじみ屋旅館に行つているようにいわれて右玄関前に出て来た大村善朝(当時六〇年)に対し、右ライフル銃を携えたまゝ示し、「俺のいうことをきけ、いうことをきかないと、俺はダイナマイトを持つているから投げ込むぞ。」といつて、同人の生命、身体または財産に対し害を加うべきことを以つて同人を脅迫し、

二、同日午後三時一五分頃同町千頭三三九番地の二安竹三治方前附近路上に到つた際、同所附近路上にいた寸又峡温泉ホテル従業員味岡和子(当時三五年)、同石川泉子(当時一九年)および同荻原いし(当時一九年)の三名が、被告人の姿を見て逃げ出したのを見るや、同女らに対し「逃げるか」と怒号し、同女らの背後から同女らを威嚇する目的でライフル銃実包二発位を発射し、同女らの生命または身体に対し害を加うべきことを以つて同女らを脅迫し、

三、同日午後三時二〇分頃同町千頭三三〇番地旅館南アルプス寸又観光開発株式会社寸又山荘(代表取締役塚本三一郎)の玄関扉を開け、右ライフル銃を手に携えて同旅館玄関内に不法に侵入し、右玄関内の土間において同旅館管理責任者波多野勲(当時二五年)に対し「従業員を出しなさい」といつたところ、同人から「従業員を出す必要ないじやないか」といわれたが、とにかく出すよう重ねて要求し、同人をして同旅館の従業員を出させたうえその顔を確め、「人違いした。皆さんには何もしない。」などといつて同旅館玄関から立ち去り、

四、同日午後三時三〇分頃同町千頭三七〇番地寸又峡温泉ホテル玄関前に赴き、右ライフル銃を肩にかけたまゝ施錠されていた同ホテル玄関扉を足で強引に押し開けて同ホテル内に不法に侵入し、同ホテル玄関の土間において同ホテル支配人味岡たか(当時六一年)に対し「従業員はどうした。連れてきて並べろ。」といつたところ、同支配人が「はい」と答えて奥に入つたものの、すぐに戻らず逃げるような気配がしたので、それまで一緒であつた望月和幸を右玄関の土間に残したまゝ編上靴の土足で同ホテルロビーに上り込み、調理室前の廊下を通り同ホテル裏の非常口から立ち去り、

五、同日午後三時三〇分過ぎ頃同町千頭三六一番地の三中部電力株式会社大間寮(管理責任者大村市)の勝手場入口から右ライフル銃を手に携え前記土足のまゝ同寮内に上り込み、勝手場を通つて同寮内食堂東側入口まで不法に侵入し、右勝手場から右食堂内に逃げ込んだ望月ひなに対し「なんで逃げた」と一言いゝ残しそのまゝ引き返して同寮を立去つた。

第五、被告人は同日午後五時頃前記ふじみ屋旅館新館の南東約二五米の地点である同町千頭二九七番地望月和幸所有の木造杉皮葺平家建物置小屋(建坪約六平方米)は警察官が忍び込んでくるのに絶好の場所であると考え、そうさせないためにこれを焼き払おうと決意し、同旅館新館二階桐の間において前記のとおり監禁されて抗拒不能の状態にあつた柴田南海男に対し、「階段にあるガソリンを持つて行つて小屋に火をつけてこい」と命令し、さきに望月和幸に命じ買つてこさせて同新館二階階段附近の廊下に置かせておいた一斗缶入りのガソリンを、右柴田をして右物置小屋に注ぎかけさせたうえマッチでこれに点火させて右物置小屋を全焼させた。

第六、被告人は同日午後八時頃前記ふじみ屋旅館新館二階桐の間南東側窓から、同新館前附近を通り掛つた産業経済新聞社記者秦次男(当時三四年)、同社カメラマン間山公麿(当時三六年)、日本映画新社企画員阿部文朗(当時二六年)、同社カメラマン浅野恒夫(当時三五年)の姿を認め、右間山から「アルプス荘はどこですか」と尋ねられたが、そこがふじみ屋旅館と気付いて逃げ出した同人らを警察官と誤認し、同人らを威嚇する目的で、右窓から前記ライフル銃実包二発位を発射し、さらに同人らを威嚇し警察官に対し逮捕行為を牽制する目的で、静岡県知事の許可を受けず法定の除外事由もないのに、導火線付雷管を装着したダイナマイト一個に前記コンロの炭火で点火し、右窓から同旅館前庭にこれを投擲して右火薬類を爆発させると共に、同人らの生命または身体に対し害を加うべきことを以つて同人らを脅迫し、引続き同日午後一〇時頃までの間に右桐の間において、警察官に対し逮捕行為を牽制する目的で、静岡県知事の許可を受けず法定の除外事由もないのに、導火線付雷管を装着したダイナマイト二個に順次右コンロの炭火で点火し、右窓から同旅館前庭にこれを投擲して右火薬類を爆発させた。

第七、被告人は法定の除外事由がないのに、

一、同月一八日夜から同月二四日午後三時過ぎ頃までの間、榛原郡金谷町、清水市および榛原郡本川根町千頭二九八番地の二ふじみ屋旅館等において、弾丸発射の機能を有する前記ライフル銃一挺を所持し、

二、前記一、記載の日時場所において、ライフル銃実包四二七発位を所持し、

三、同月二〇日午後一一時三〇分頃から同月二四日午後三時過ぎ頃までの間、前記ふじみ屋旅館において、二号榎印ダイナマイト(一本一〇〇グラム)六二本位、第二種導火線付工業用六号雷管三四本位、工業用五号雷管一二本を所持した。

(証拠の標目)〈略〉

(争点に対する判断)〈編注、かつこ内の証拠および記録の丁数はすべて略〉

一、丙に対する未必的殺意

被告人は当公判廷において、「丙に対しては殺意をもつたことはなく、尻の辺から股の辺を二、三発撃つたつもりであつた」旨弁解するけれども、判示第一に認定したとおり、被告人は殺傷力の極めて強いライフル銃をもつて、ソファーに坐つていた丙に対し僅か一米位の至近距離から実弾を四発も発射して全弾を同人の背胸部等に命中させ、その結果同人をしてその約三〇分後に腸管、腸間膜、脾臓等の内臓損傷による出血により死亡させたものであり、〈証拠・略〉によれば、同人に対する射創は、(1)左前腕を貫通し、再び右上腕内側より射入された盲貫射創、(2)左肘関節部を外側より内側に貫通し、再び左側胸部より射入され横隔膜、脾、胃を貫通し第九胸椎左側の皮下に達する盲貫射創(致命傷)、(3)左背胸部より射入され右上腹部に射出された貫通射創(致命傷)、(4)左背腰部より射入され、左骨盤を著名に破壊している盲貫射創(致命的な損傷)であつて、その犯行に使用した銃器の性状、被害者丙との射間距離、実弾発射数、創傷の部位程度から推認される被告人の被害者丙に対する攻撃手段の態様は、健全な常識に照らし、被告人の被害者丙に対する未必的殺意を認定するに充分であるものというべきである。

二、監禁罪の成立

監禁とは、人をある時間一定の区域から出ることを不可能または著しく困難にすることをいゝ、その本質は人の行動の自由を場所的に拘束することにあるから、その手段方法についてこれを制限する合理的理由はなく、有形的方法によると無形的方法によるとを問わないものと解すべきである。したがつて、人を一室に閉じ込めて鍵をかけるとか、あるいは常時監視するなど有形的方法による場合に限らず、脅迫により人の畏怖心を利用するなど無形的方法によつても監禁罪の成立は可能であり、その無形的方法によつて監禁罪が成立するがためには、その脅迫およびこれによる畏怖心の程度は、人を一定の区域から出ることを不可能または著しく困難にするに足るものであることを要し、かつこの程度をもつて足りるものといわねばならない。

これを本件についてみるに、判示第二に認定したとおり、被告人は山奥深くの大間部落のふじみ屋旅館に、深夜、ライフル銃を携え編上靴の土足のまゝ上り込み、宿泊客や同旅館の家族をつぎつぎと起こし、同人らに対し「人を殺してきた」などといつて同人らを同旅館二階の一室に集め、その隣室にバリケードを築かせたりした後、同人らに対し「警察と話をつけるまで我慢してくれ。おとなしくしていれば、危害を加えない。」などといつて同人らが同旅館を出るなど勝手な行動をすれば、その者のみでなく他の残留者にも危害を加える旨を暗に告知して脅迫しているのであるから、右被告人の脅迫的言動は同旅館の家族や宿泊客らが同旅館を出ることを著しく困難にするに足る程度のものであることは明らかであり、また同人らが右被告人の脅迫的言動によつて同旅館を出るなど勝手な行動をすれば、自己または他の残留者に危害が加えられるものと畏怖したことは、〈証拠・略〉を俟つまでもなく、右脅迫的言動自体からも容易に推認しうるところであつて、右被告人の脅迫的言動による畏怖心が、同旅館を出ることを著しく困難にするに足る程度のものであることは多言を要しない。

そして、被告人に監禁の犯意のあつたことは、被告人が二〇日深夜ふじみ屋旅館に侵入した直後、清水警察署に電話をかけた際、自ら「人質」という言葉を使用していること、二一日昼頃市原勝正と伊藤武雄に対し一旦は名古屋に行くことを許可していながら、加藤末一をして右両名を呼び戻させたり、二二日朝田村登に命じて望月英子とその子三人を自動車で奥泉に送らせた際、右田村には帰つてくるようにいゝ、また二二日夜望月和幸を奥泉の妻の実家に帰す際、必ず翌朝には帰つてくるようにいつていることなど二〇日深夜ふじみ屋旅館侵入後の被告人の言動をみれば明らかなところである。

そうであるとすれば、被告人が判示のように監禁の意思をもつてライフル銃を携えふじみ屋旅館に土足のまゝ上り込み、宿泊客や同旅館の家族を起こし、人を殺してきたとか、静かにするようにいつたときから順次同人らに対する監禁の実行行為が始まり、同人らを藤の間に集めバリケードを築かせるなどした後、藤の間に集めた同人らに対し「警察と話をつけるまで我慢してくれ、おとなしくしていれば、危害を加えない。」などといつて同旅館を出るなど勝手な行動をすれば危害を加える旨を暗に告知した時点において監禁の実行行為としての脅迫的言動が一応完了し、これにより同人らをして同旅館を出るなど勝手な行動をすることを著しく困難にする畏怖心を抱かせたものといえるから、この段階に至つて監禁が始まるものというべきであり、この時刻は証人望月和幸の証言によると、二一日午前三時頃であるものと認められるから、この時刻をもつて監禁の始期とすべきである。

尤も、その後における状況の変化、例えば二一日午前の大橋巡査の来訪、それに続く被告人とNHK村上、静岡新聞大石両記者との記者会見、同じ頃ヘリコプターできた城所、田辺両記者との記者会見、翌二二日朝の望月英子とその子三人の釈放、その頃から増えてきた報道関係者の来訪と記者会見、同日の西尾主任、小林元掛川警察署長、山城米穀商らの来訪、同日の高松県警本部長、K刑事によるテレビ謝罪放送、同日夜被害者らの入浴と被告人のライフル銃を二階藤の間に置いたまゝの入浴、二三日の趙衍、金本茂、崔牧師、伊藤中大助教授、金達寿、斉藤、山根、角南各弁護士らの来訪、同日夕刻の加藤一志、小宮征市、市原勝正の釈放等が被害者らの緊迫感ないし不安感を徐々にやわらげ、被害者らをして被告人のいうとおりおとなしくさえしていれば危険でないとの心理状態にさせていつたであろうことは推認するに難くはないけれども、このような心理状態はあくまでもおとなしくしていることを前提としたものであつて、これはさきに認定した旅館を出るなど勝手な行動をした場合に危害が加えられるとの畏怖心とは別のものであり、この意味における構成要件的畏怖心とでもいうべきものは、被告人においてこれを解消させるに足る何らかの行為(例えば、被害者らに対し旅館を出ることも自由にしてよい旨告げる行為)を全くなしていない以上、前記緊迫感ないし不安感をやわらげる諸事実があつたからといつて解消するものではない。このことは、証人加藤末一の「二一日被告人の了解を得て部下の市原と伊藤に酸素熔接の講習を受けさせるため、下の旅館まで送つて行き帰つてきたとき、被告人から自分のやつたことと違うことをテレビで放送したから、さきの二人を連れ帰るよういわれ、下の旅館へ行き警察官に相談したところ、帰つたことにしてくれといわれたが、そのことが被告人にわかつたときに残つた人の身の危険を感じたので連れ戻した。また、望月和幸を奥さんのところまで車で送つたりなど車を運転したことはあるが、部下の四人を無事に帰えしたかつたから、帰らずじまいは考えなかつた。」旨の証言、証人市原勝正の「二一日名古屋でガス熔接の試験があるので、監督の加藤さんが被告人のところに聞きに行つたところ、よろしいということになつて旅館を出て、下の旅館のところで待つていたら、加藤さんが被告人にいわれてまた呼び戻しにきた。自分だけ逃げると、他の人がいるから心配で戻つた」旨の証言、証人伊藤武雄の「二一日講習会があるので、監督の加藤さんに被告人に話してもらい了解を得て、市原と二人で旅館から一五〇米位下のところで新聞社の人と一緒に行こうということで車に乗つて待つていたところ、加藤さんが被告人にいわれて呼び戻しにきた。皆に迷惑かけると思い戻つた。また、被告人が風呂に入つているとき逃げる相談をした。全員逃げられればよいが、一人残つて怪我すると困るので止めた。」旨の証言、証人柴田南海男の「二一日午後被告人に頼まれて菓子の買物に出た。逃げるとあとの人が危害を加えられると困ると思い逃げられなかつた。僕らだつて一日も早く出たい。何も好きこのんでいたわけではない。」旨の証言、証人田村登の「二二日朝被告人の車で旅館の奥さんと子供三人を奥泉までとどけたが、そのまゝ逃げなかつたのは、他の人が何されるかわからないので帰つた。」旨の証言、証人小宮征市の「二二日の夜、被告人が風呂に入つているとき、近くの山久旅館に行き同僚に会つたが、自分がいないため誰かにもしものことがあるとうまくないという気持ですぐ帰つた。」旨の証言、証人加藤一志の「被告人が風呂に入つているとき逃げなかつたのは、一人でもつかまると、どんな被害を受けるかわからないと考えたから。被告人はそういうことをしかねないと思つていた。」

旨の証言等によつても裏付けられているところである。

なお、別紙一覧表記載のとおり、監禁の被害者らの中には、ふじみ屋旅館から一時出ている者もあるが、その外出の殆んどは判示のとおり被告人に命ぜられ、あるいは被告人の許可を受けて外出したものであり、ただ望月和幸と小宮征市のみが、被告人の知らない間に外出したものであつて、望月和幸の場合は〈証拠・略〉によると、同人は二二日午後六時頃被告人から風呂を沸かすようにいわれたので、被告人が記者会見している間にふじみ屋旅館を抜け出し、同旅館の南東約一七〇米のところにある旅館翠紅苑に赴き、小幡捜査第一課長に会つて被告人が風呂に入ることを知らせて引き返したものであり、また小宮征市の場合は、〈証拠・略〉によると、同人は二二日夜新聞記者から裏の山久旅館に同僚の西村と渡辺がいることを耳打ちされ、ふじみ屋旅館の北西約七〇米のところにある山久旅館に行つて右西村、渡辺に会い、同人らと二、三分話してすぐふじみ屋旅館に戻つたものであつて、いずれも被告人に気付かれないうちに、僅かな時間外出してすぐ戻つているのであるから、右外出の事実があるからといつて、前記畏怖心の存在に消長を及ぼすものでないことは、前示のとおり現に小宮征市は自分がいないため誰かにもしものことがあると、うまくないという気持ですぐ戻つていることからも明白であり、判示認定のとおり監禁罪の成立することは疑いのないところである。

三、二一日の外出目的

検察官は、被告人の二一日午後三時頃望月和幸を伴つての外出目的を、人質を得るためであつた旨主張し、証人望月和幸、同望月英子は右主張と同趣旨の証言をしているのであるが、しかし被告人は当時すでに一三人もふじみ屋旅館に監禁していたのであるから、被監禁者をそれ以上増やす必要はないものと考えられるし、判示第四に認定のとおり現にその外出中に何人かの人に逢つているのであるが、大村善朝の場合以外はそれらしい行為は何もしていないのであるから、右の望月和幸、同英子の各証言は疑わしいものといわざるをえず、この点は被告人の供述するとおり警察官配置状況を探ぐる目的で外出したものと認めるべきである。

なお、被告人は「大村善朝に対し、危ないから、こゝにいないでふじみ屋の皆のところに行つているようにいつた」旨供述するのであるが、この供述は証人大村善朝の証言に照らし措信し難く、同証人の証言と同人経営の旅館光山荘がふじみ屋旅館の北側に隣接している地理的関係を考え合わせれば、被告人としては大村善朝が警察に協力しふじみ屋旅館に隣接した光山荘に警察官を配置されたりなどすると困るので、それを牽制する意味で判示のとおり脅迫したものとみるのが相当である。

四、旅館寸又山荘への住居侵入罪の成立と波多野勲に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪の不成立

弁護人は、被告人が旅館寸又山荘に入つたのは人質を得る目的ではないし、また逃げた味岡和子らを追つて入つたものでもなく、警察官の配置状況を探ぐろうとして入つたものであり、しかも当時同旅館の玄関扉の鍵はかかつていなかつたものであつて、被告人は同旅館に入るに際し「今日は」ないし「失礼します」といつて同旅館玄関内の土間に入つたに過ぎないから、侵入の態様に違法性がない旨主張するので、まずこの点につき判断する。

被告人が同旅館に入つた目的が警察官の配置状況を探ぐるためであり、鍵のかかつていない玄関扉から入るに際し「今日は」ないし「失礼します」といつて入つたとしても、判示第四の三に認定したとおり、被告人はライフル銃を手に携えて同旅館玄関を入り、波多野勲に対し従業員を出すよう求め、同人から「従業員を出す必要ないじやないか」といわれたのに、とにかく出すよう重ねて要求し、同人をして同旅館の従業員を出させたうえその顔を確かめて出て行つたものであり、その間に脅迫の実行行為に当るような行為がなされなかつたとしても、現に波多野勲は「こわかつたので従業員らを出した」旨証言しているくらいであるから、右のようなライフル銃を携えての侵入行為が住居の平穏を害するものであり、同旅館の管理責任者である波多野勲の入ることの承諾ないし暗黙の承諾を得られないことは当然予想されるところである。すなわち、右侵入行為は管理者が侵入を拒否することは間違いないと明らかに認められる場合であつて、かゝる場合に管理者の意に反して侵入し住居の平穏を害した以上、たとえそれが玄関内の土間に入つたに過ぎないとしても、故なく不法に侵入したものと認めるべきであり、侵入の態様に違法性がないとは到底いうことができない。

次に、波多野勲に対する暴力行為等処罰に関する法律違反について判断する。

この点についての公訴事実は、「被告人は昭和四三年二月二一日午後三時二〇分頃榛原郡本川根町千頭三三〇番地旅館南アルプス寸又観光開発株式会社寸又山荘(取締役社長塚本三一郎)方玄関に不法に侵入し、同所において、同館管理責任者波多野勲(当二五年)に対しライフル銃を示し、「逃げた女の子が入つて来たはずだ、従業員を出せ」と申し向け、もし要求に応じないときは同人の生命、身体に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫した」というにある。

そこで、被告人が波多野勲に対し兇器であるライフル銃を示して脅迫したものと認められるかどうかについて考えてみるに、被告人の波多野勲に対する発言内容は概ね判示第四の三に認定したとおりであつて、この発言内容自体が脅迫に該当しないことは明らかであり、また証人波多野勲は「おどかすような声ではなかつた。言葉は乱暴でなく、命令的でもなかつた。」旨証言し、証人望月和幸も「おどかす言葉でなかつたと思う」旨証言しているので、この場合被告人がライフル銃を携えていなければ、脅迫にならないことは明らかであり、脅迫が成立するかどうかは、つまるところ被告人がライフル銃を示すような何らかの積極的行為をなしたかどうか、またはこのような積極的行為をなさず単にライフル銃を携えていたのみであつたとしても、脅迫の手段としてこれを示す意思があつたとみることができるかどうかの点の判断いかんにかかつてくるわけである。

証人波多野勲は、「被告人は自分の方に銃口を向けたと思う」旨証言するが、証人望月和幸は、「被告人は銃口を下に向けていた」旨証言し、被告人も波多野勲に対し銃口を向けたことを強く否認しているので、波多野勲は被告人がライフル銃を手に携えて侵入してきただけで畏怖し、畏怖の余り銃口を自分の方に向けられたように錯覚したのではないかとの疑いが強く、他に被告人がライフル銃を示すような積極的行為をしたと認めるに足る証拠はないし、被告人が脅迫の手段としてライフル銃を示す意思のあつたことを窺わしめる証拠もない。

したがつて、被告人が波多野勲に対し暴力行為等処罰に関する法律第一条の兇器を示して脅迫したとの点はその実行行為を認めるに足る証拠がないものというべく、この点については犯罪の証明がないことに帰するが、前記住居侵入の罪と牽連犯の関係にあるものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

五、味岡たかに対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪の不成立

味岡たかに対する暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実は、「被告人は昭和四三年二月二一日午後三時三〇分頃榛原郡本川根町千頭三七〇番地株式会社築地園寸又峡温泉ホテル(取締役社長鈴木藤吉)に不法に侵入し、同館支配人味岡たか(当六一年)に対しライフル銃を示し、「誰れか逃げ込まなかつたか、従業員を全部つれて来てこゝにならべろ」と申し向け、もし要求に応じないときは同人の生命、身体に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫した」というにある。

そこで判断するに、被告人の味岡たかに対する発言内容は判示第四の四に認定したとおりであつて、これのみでは脅迫に該当しないことは明らかであり、脅迫が成立するかどうかは被告人にライフル銃を示す何らかの積極的行為、またはそれがないにしても脅迫の手段としてライフル銃を示す意思があつたとみることができるかどうかの判断にかかるわけであるが、被告人は寸又峡温泉ホテルに侵入した際はライフル銃を肩にかけたまゝであつて、これを示すような積極的行為をしたと認めるに足る証拠はないし、被告人が脅迫の手段としてライフル銃を示す意思のあつたことを窺わしめる証拠もないから、暴力行為等処罰に関する法律第一条の兇器を示して脅迫したとの実行行為を認めるに足る証拠がないものというべく、この点については犯罪の証明がないことに帰するが、判示寸又峡温泉ホテルへの不法侵入の罪と牽連犯の関係にあるものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

六、城所賢一郎に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪の不成立

城所賢一郎に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実は、「被告人は昭和四三年二月二一日午後三時三〇分過ぎ頃榛原郡本川根町千頭一、二一〇番地の二旅館求夢荘望月雅彦方附近において、取材中の株式会社東京放送社員城所賢一郎(二五年)に対しライフル銃を構え、「報道はいつも出鱈目ばかりいつている、一緒に来い」などと申し向け、同人の生命、身体に危害を加えかねまじき気勢を示して脅迫した」というにある。

右脅迫の被害者とされている城所賢一郎は、当裁判所の四回に亘る召喚に対しいずれも出頭せず、遂に第四二回公判期日にあたる昭和四六年七月二二日勾引状を執行されて同日証人として当公判廷に立つたのであるが、証人城所賢一郎は事件当日取材のため寸又峡温泉に赴いたことまでは証言しながら、「寸又峡に着いてからどこに行つたか」との尋問に対して証言を拒否し、その拒否の理由として、「記者ないしカメラマンには、医師、弁護士と同様証言を拒否する権利がある。当日は取材記者としての立場で現場に行つたので、そこで体験した事柄を放送以外の場所で明らかにすることは記者としての良心に反する。」旨述べ、当裁判所から証言拒否権はないので証言を続けるよう命じられたけれども、証言を拒否する態度を変えなかつた。そこで、検察官は城所賢一郎の検察官に対する供述調書を刑事訴訟法第三二一条第一項第二号書面として証拠調請求したのであるが、当裁判所はこれに対し城所賢一郎が検察官主張のような脅迫の被害を受けたものとすれば、その被害状況を証言しても記者としての良心に反することはないと思われるのに、「現場での体験を証言することは記者としての良心に反する」として証言を拒否しているところからみると、脅迫の被害を受けていないことを暗黙のうちにほのめかしているものとも考えられるとしたうえ、右検察官調書を同法第三二一条第一項第二号後段の書面として扱うべきであると判断し、その特信性の存在を認めるに足る証拠がないとしてこれを却下した。したがつて、本訴因については被害者とされている者の被害状況についての証言もその供述調書も存在しない。

ところで、証人望月雅彦は、「二一日の午後、当時経営していた求夢荘の中の売店にいるとき、鍵のかかつたガラス窓の両側から寄せたカーテンの隙間から、三、四〇米位の距離のところで、被告人が二、三〇米離れたところにいた腕章をはめカメラを持つた新聞記者らしい人に対し、両肘を上げてライフル銃を構えたのを見た。記者らしい人は撃たないでくれと大声でいつて被告人の方に近づいて行き、被告人と一緒になつて二人並んで安竹商店の方に去つて行くのを見た。」旨証言している。しかし、同証人は被告人の「銃を手に持つててそれを構えたのか、肩からおろして構えたのか」との尋問に対し、「それは記憶ない。ただ構えたということは記憶ある。怖いなあと思つたから。」と証言し、構える前は銃をどのように携えていたのか証言できず、また弁護人の「両肘を上げて銃を構えた後、新聞記者が被告人の方に近づく間、被告人はどうしていたか」との尋問に対し、「その当時のことは細かく覚えていない」と証言し、結局同証人は銃を構えた瞬間だけは証言するが、どのように持つていた銃を右のように構えたのか、構えた後銃をいつどのようにおさめたのかについて証言できないのである。このように銃を構えた瞬間のみ証言し、構える直前と構えた直後の状況を証言できないのでは果して被告人が同証人の証言するように銃を構えたのかどうか、同証人の証言を信用すべきかどうかの判断に迷わざるをえない。さきに説示したとおり、証人波多野勲の「被告人が自分の方に銃口を向けた」旨の証言が、証人望月和幸の証言により疑わしいものとなつたこともあり、本訴因については城所賢一郎が当時の状況を証言しない限り、当裁判所としては当時の状況について心証をとることができないのである。

以上のとおり、本訴因については犯罪の証明がないことに帰するから、無罪とすべきである。

七、非現住建造物放火罪の成立

弁護人は、「本件小屋は雨露をしのげない程のボロ小屋で物置小屋といえるようなものではなく、金物類、瀬戸物類のごみ捨て場というのが真相であり、しかも本件小屋を焼くについては予め望月和幸の承諾を得ているので、非現住建造物放火罪は成立しない」旨主張する。

しかし、〈証拠・略〉によれば、本件小屋は建坪が約六平方米、高さが約二米、柱は五本の丸太柱、屋根は杉皮葺でこれを竹で押え、一部トタンで補修したもの、周りは出入口を残し三方に杉板で地上から一米位のところまで囲つた物置小屋であり、約一〇年位前に建てられたかなり古い建物ではあるが、客用の食器類、お茶の道具、釜等の什器類や温泉工事の残材のパイプ、バルブ等を収納し、当時も物置小屋として使用中で、右什器を必要とするときなど人が出入していたことが認められるから、本件小屋は刑法第一〇九条の建造物に該当するものと認めるのが相当であり、また〈証拠・略〉によれば、望月和幸は当時被告人から本件物置小屋の所有者を聞かれたり、右小屋が邪魔になるとかいわれたことはあるけれども、被告人に対し右物置小屋を焼くことの承諾をしたことはなく、被告人が二一日午後五時頃柴田南海男をして右物置小屋に放火させたときはふじみ屋旅館にはおらず、被告人から大間部落にある銃を集めるよう命ぜられて外出中であり、同部落を廻り猟銃一挺を持つてふじみ屋旅館に戻つた際は、すでに右物置小屋が燃えていたので、バケツを持つて被告人に「消させてくれ」と頼んだところ、被告人は「あれは、ほつておけば消える」と答えていることが認められ、望月和幸が右物置小屋放火を承諾していなかつたことは疑う余地のないところであつて、右弁護人の主張は理由がなく、非現住建造物放火罪の成立することは明らかである。

八、爆発物取締罰則の不適用と火薬類取締法の適用

判示第三の事実に対応する公訴事実は、「被告人は治安を妨げる目的をもつて、昭和四三年二月二一日正午頃前記ふじみ屋旅館において、導火線付雷管を装着したダイナマイト三個にコンロの炭火により点火し、同旅館前庭にこれを投擲して爆発物を使用した」というのであり、判示第六の事実に対応する公訴事実は、「被告人は同日午後七時四五分頃前記ふじみ屋旅館において、同旅館前にいた産業経済新聞記者秦次男(当三四年)、同間山公麿(当三六年)、日本映画新社々員阿部文朗(当二七年)、同浅野恒夫(当二四年)を認めるや、威嚇の目的でライフル銃実包二発位を発射し、さらに治安を妨げる目的をもつて前同様のダイナマイト二個に点火し、同旅館前庭にこれを投擲して爆発させ爆発物を使用するとともに、同人らを脅迫し、」「治安を妨げる目的をもつて前同日午後一〇時頃前記ふじみ屋旅館において前同様ダイナマイト二個に点火し同旅館前庭にこれを投擲して爆発させて爆発物を使用した」というのであり、判示第七の三に対応する公訴事実は、「被告人は治安を妨げるために使用する目的をもつて同月二〇日午後一一時三〇分頃から同月二四日午後三時二三分頃までの間、前記ふじみ屋旅館において二号榎印ダイナマイト(一本一〇〇グラム)六二本ないし七三本位、導火線付雷管三四本ないし四一本位、雷管一二本を所持した」というのである。そして、検察官は右治安を妨げる目的でダイナマイトを爆発させた点については各爆発物取締罰則第一条に、同様の目的でダイナマイト等を所持した点については同罰則第三条にそれぞれ該当するものと主張する。

これに対し、弁護人は被告人がダイナマイトを爆発させたのは警察に対する要求がとおる前に警察官に逮捕されたり、射殺されたりすることを防ぐための牽制であり、治安を妨げる目的ではないのみならず、そもそも爆発物取締罰則第一条第三条の「治安を妨げる目的」という構成要件は不明確であつて、憲法第三一条の定める適正手続の保障に背くものであるから、同罰則は違憲、無効なものであり、右各公訴事実については刑事訴訟法第三三九条第一項第二号により公訴を棄却すべきである旨主張している。

そこでまず、爆発物取締罰則第一条第三条の「治安を妨げる目的」という構成要件が不明確であるか否かについて考えてみるに、「治安を妨げる」との用語は、これを日常用語として合理的に解釈すれば、「公共の安全と秩序を害する」という意味に解釈することができ(最高裁判所昭和四七年三月九日判決参照)、また「目的」の意味内容については、同罰則第一条が「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的ヲ以テ爆発物ヲ使用シタル者及ヒ人ヲシテ之ヲ使用セシメタル者」に対し、「死刑又ハ無期若クハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮」というような極めて厳しい刑をもつて臨み、同罰則第三条も「第一条ノ目的ヲ以テ爆発物若クハ其使用ニ供ス可キ器具ヲ製造輸入所持シ又ハ注文ヲ為シタル者」に対し「三年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮」というような重刑をもつて臨んでいることを勘案しこれを文理に即して解釈すれば、同罰則第一条第三条にいう「目的」とは「意図」を意味するものと解釈することができるのであつて、その構成要件が不明確であるとはいえず、同罰則第一条第三条が違憲、無効なものであるとする弁護人の主張は理由がないものというべきである。

右のとおり、本件との関係でいえば、同罰則第一条は公共の安全と秩序を害する意図をもつて爆発物を使用した場合に適用されるべきものであり、公共の安全と秩序が害されるかもしれないとの未必的認識、あるいはそれが害されるとの確定的認識をもつて爆発物を使用したというのでは同条の罪は成立しない。換言すれば、同条の罪が成立するがためには、同条所定の目的達成の手段として爆発物を使用した場合でなければならない。

これを本件についてみるに、被告人がダイナマイトを爆発させる際、公共の安全と秩序が害されるかもしれない、あるいは害されるとの結果を認識していたかどうかは兎も角として、それを害する意図をもつていたかどうかの点については、これを認めるに足る証拠はなく、却つて被告人は判示のとおり二一日正午頃市原勝正、伊藤武雄の両名に対しその申出により熔接の講習を受けさせるため名古屋に行くことを一旦は許可していること、二二日朝望月英子とその子三人を釈放し、また二三日夕刻には加藤一志、市原勝正、小宮征市の三名を釈放していること、公共の安全と秩序を害する意図をもつていたとすれば、二一日午後三時頃望月和幸を伴いふじみ屋旅館周辺の警察官の配置状況を探ぐりに同旅館を出た際、それを意図した犯行をするのではないかと思われるのに、その際ことさらそれを意図したとみられるような行為をなさず、逆に寸又山荘の波多野勲に対し「皆さんには何もしない」などといつて同山荘を立ち去つていること、高松県警本部長と電話で話をした際、同本部長に対し警察が大間部落(寸又峡温泉)への交通を遮断したことについて抗議していること、当時大間部落の者が電話でふじみ屋旅館にたてこもつた被告人に対し、「結婚式のため金谷の方に行かなければならないので通行を認めてほしい」旨申出でた際、警察が交通遮断しているだけで、自分が止めているのではないといつてその通行を認めていること等の諸事実から、被告人にはダイナマイトを使用して公共の安全と秩序を害する意図はなかつたことを窺うことができ、この点は被告人が供述するように、眼前に現われた警察官と思われる者を威嚇、あるいは被告人の視界内にいない警察官に対し容易に逮捕できないことを示し警察官の逮捕行為を牽制する目的でダイナマイトを爆発させたものと認定すべきであり、したがつてその所持の目的も亦、同様の目的であつたものと認めるのが相当である。

以上のとおり、被告人に治安を妨げる目的が認められない以上、爆発物取締罰則第一条第三条を適用する余地はなく、またその所持の目的は逮捕行為を牽制するためのものと認められるので同罰則第六条の適用を問題にする余地もない。しかし、判示認定のとおり被告人は県知事の許可なく、法定の除外事由もないのに、火薬類であるダイナマイトを爆発させ、また法定の除外事由がないのに火薬類であるダイナマイト等を所持したのであるから、前者の行為については火薬類取締法第二五条第一項第五九条第五号(同法施行規則第四八条第一項)に、後者のそれについては同法第二一条第五九条第二号に該当することは明らかであり、弁護人の刑事訴訟法第三三九条第一項第二号により公訴を棄却すべきであるとの主張は理由がないものといわねばならない。

(累犯前科)

被告人は

(一)  昭和二七年九月二九日静岡地方裁判所において、強盗、同予備、横領、銃砲刀剣類等所持取締令違反罪により懲役八年に処せられ、昭和三八年三月一九日右刑の執行を受け終り、

(二)  昭和三六年六月一三日静岡地方裁判所掛川支部において、恐喝、詐欺罪により懲役二年六月に処せられ、昭和四〇年九月一九日右刑の執行を受け終つたものであつて、右事実は被告人の前科調書三通(二一冊六、四五三丁)によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の各所為は各刑法第一九九条に、判示第二の各所為のうち、住居侵入の点は同法第一三〇条罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、監禁の点は各刑法第二二〇条第一項に、判示第三の所為は火薬類取締法第二五条第一項第五九条第五号(同法施行規則第四八条第一項)に、判示第四の一の所為は暴力行為等処罰に関する法律第一条(刑法第二二二条第一項)罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、判示第四の二の所為は各暴力行為等処罰に関する法律第一条(刑法第二二二条第一項)罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、判示第四の三ないし五の各所為は各刑法第一三〇条罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第五の所為は刑法第一〇九条第一項に、判示第六の所為のうち、秦次男らに対しライフル銃で威嚇射撃しダイナマイトを爆発させて脅迫した点は各暴力行為等処罰に関する法律第一条(刑法第二二二条第一項)罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、ダイナマイトを爆発させた点は包括して火薬類取締法第二五条第一項第五九条第五号(同法施行規則第四八条第一項)に、判示第七の所為のうち、ライフル銃所持の点は銃砲刀剣類所持等取締法第三条第一項第三一条の二第一号に、実包所持とダイナマイト等所持の点は包括して火薬類取締法第二一条第五九条第二号に各該当するところ、判示第二の各監禁は一個の行為で一三個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段第一〇条により一罪として犯情の最も重い柴田南海男に対する監禁罪の刑で処断することとし、判示第四の二の各暴力行為等処罰に関する法律違反の点は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段第一〇条により一罪として犯情の最も重い石川泉子に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪の刑で処断することとし、判示第六のダイナマイトを爆発させての脅迫は一個の行為で四個の暴力行為等処罰に関する法律違反罪と火薬類取締法違反罪に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条により結局判示第六の罪を一罪として犯情の最も重い浅野恒夫に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪の刑で処断することとし、判示第七の銃砲刀剣類所持等取締法違反と火薬類取締法違反とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条により一罪として重い銃砲刀剣類所持等取締法違反罪の刑で処断することとし、判示第一の甲に対する殺人罪については所定刑中有期懲役刑を、丙に対する殺人罪については所定刑中無期懲役刑を選択し、判示第二の住居侵入罪、判示第三の火薬類取締法違反罪、判示第四の一の暴力行為等処罰に関する法律違反罪、判示第四の石川泉子に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪、判示第四の三ないし五の各住居侵入罪、判示第六の浅野恒夫に対する暴力行為等処罰に関する法律違反罪および判示第七の銃砲刀剣類所持等取締法違反罪については各所定刑中懲役刑を選択し、被告人には前記累犯前科があるので刑法第五六条第一項第五七条により右判示第一の丙に対する殺人罪を除くその余の各罪につき(判示第一の甲に対する殺人罪および判示第五の罪については同法第一四条の制限内で)再犯の加重をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四六条第二項本文により判示第一の丙に対する殺人罪の刑に従つて処断することとし、他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととし、本件公訴事実中城所賢一郎に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点については、前説示のとおり犯罪の証明がないので刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすべきものとする。

(量刑の事情)

まず、本件殺人の動機についてみるに、当時の岡村孝の被告人に対する債権について、岡村孝は「当時自分としては四二、三万円あると思つていたが、被告人の方は三八万円と主張していた」旨証言し、被告人は「岡村孝から合計一八万円を借りたが、同人に対しその返済として私の乗用車をやつたので借金はない。ただ、手形を岡村孝にやつた後、一〇万円もらつている。」旨供述しており、そのいずれが真実であるのか証拠上明らかでないのであるが、仮に右岡村孝の証言どおりであつたとしても、暴力団Ⅰ組の幹部甲らの被告人に対する取立請求の方法は、五人で自動車二台に分乗し深夜横浜の被告人居住のアパートに乗りつけ、被告人を呼び出して自動車内に連れ込んだうえ、その借用証書を強要して書かせ、被告人の印鑑も預り、帰途被告人の母や弟のところに立ち寄つて同人らにその保証人になるよう迫るというような社会観念上許容された範囲を逸脱したものであつて、その後も執拗な取立請求を続けたことが本件殺人の起因となつたものと考えられる。

しかしながら、人の生命は何ものにも代え難い貴重なものであり、右のような取立請求を受けたからといつて人の生命を奪うことが許されないことはいうまでない。被告人は内妻房子と焼津で別れた時点において甲殺害の決意を固め、ライフル銃、実包、ダイナマイト等を積み込んだ乗用車を運転して清水市に到り、甲に対し、クラブ「みんくす」に金をとりにくるよう電話をかけて同人を同店に呼び出し、同人に対し言葉巧みに嘘をいゝ、金の支払を受けられるものと思い込ませて待たせたうえ、右ライフル銃をもつて同人に対し三米位、丙に対し一米位の至近距離から実弾を二人に合計一〇発も撃ち込み、二人までもの若い生命を奪つたものであつて、その責任は前記事情を酌量しても極めて重大であるといわねばならない。殊に、このうちの一人丙はそれまで被告人とは全くかかわりがなかつたのみならず、甲とも一面識もなかつたものであり、たまたま自己が勤務する家具販売店経営者の子である乙から自動車の運転を依頼され、「みんくす」に同人と甲とを乗せて行つて同席していたため、被告人から甲の配下の者とみられたものであつて、被告人はそのような者までも右のような残虐な方法でその生命を奪いながら、犯行後四年も経過した今なお、その二人の遺族に対し何らの慰藉の方法も講じておらず、当公判廷において甲の残された妻が、「被告人を死刑にしてほしい」と述べ、また丙の母が「我慢できない」と言葉少なに吐露した心情は、まことに察するに余りあるものがある。

次に被告人の寸又峡における犯行については、被告人がふじみ屋旅館にたてこもつた直後の二一日朝、大橋巡査を通じて警察側に対し、K刑事による侮辱発言と甲がいかなる人間であつたかの二点を明らかにすることを要求していることからみても、右の要求を貫徹するための犯行と認められるが、しかしいかなる動機、目的に基づくにせよ、目的のためには手段を選ばず、全く関係のない者までも巻き添えにすることは断じて許されない。被告人は深夜ライフル銃を携えてふじみ屋旅館に土足で上り込み、人を殺してきたなどといつて同旅館二階の一室に宿泊客や同旅館の家族らを集め、その隣室にバリケードを築かせたうえ、ダイナマイトや火のおこつたコンロを運び込ませ、いつでもダイナマイトに着火してこれを爆発させることができるようにして同旅館にたてこもり、ライフル銃を発射したりダイナマイトを爆発させるなどして寸又峡の住民らをも不安と恐怖に陥れ、また殺人犯が人質をとりライフル銃とダイナマイトをもつて温泉郷の旅館にたてこもつたということから一般社会にも多大の動揺と不安を与えたものであつて、右犯行の動機を斟酌してもその行為は強く非難されなければならない。

被告人は判示のとおり窃盗、詐欺、横領、脅迫、銃砲等所持禁止令違反、傷害、強盗、同予備、銃砲刀剣類等所持取締令違反、恐喝等懲役刑の前科を六犯も重ねながら、虚言を用い予め用意したライフル銃をもつて二人までもの生命を奪つたものであり、しかもその遺族に対し何らの慰藉の方法を講じておらず、極刑を望む遺族の心情も理解できないわけではないが、しかし前示本件犯行の動機や幼少の頃父に死別し朝鮮人として恵まれない環境の下で育つた被告人の生い立ち等も考慮して、主文のとおりの刑を量定した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(石見勝四 人見泰碩 三上英昭)

別紙一覧表〈略〉

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